2019-03-19 第198回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
戦後になって、これは地球の裏側からチリ地震津波が来まして、その間、その後もいろんな、十勝沖地震とか宮城沖地震とかありまして、そんなに大きな津波ではなかったんですけれども、津波が来ています。
戦後になって、これは地球の裏側からチリ地震津波が来まして、その間、その後もいろんな、十勝沖地震とか宮城沖地震とかありまして、そんなに大きな津波ではなかったんですけれども、津波が来ています。
この五十年間、十勝沖地震津波など、大小幾度の津波にも遭遇してきました。三陸の漁業者にとって津波は宿命であり、何度も大変な思いをしてきましたが、自然現象である以上、津波にも畏敬の念を抱き、漁業を営んできました。 今、宮城、福島の沿岸には暖流が接岸し、小型沖合底引き船はカレイ、ヒラメ類の水揚げが振るわず、漁業者は嘆いております。
今世紀に入ってからでも、平成十五年の十勝沖地震、十六年の新潟県中越地震、十九年の能登半島地震、新潟県中越沖地震、二十年の岩手・宮城内陸地震、二十三年の東日本大震災、そしてことし四月に発生した熊本地震など、その他多くの大地震が発生しております。日本列島の上にいれば、いつ、どこで大規模な地震に遭遇しても不思議ではない状態です。
まずは、日本には動的な大きな試験機がないということで、二〇〇三年の長周期地震動問題、十勝沖地震以降、長周期地震動問題が出てきまして、二〇一一年でも長周期が出てきました。それで、国土交通省の方で、建築基準整備促進事業というので、実大の積層ゴムを動的に評価をしよう、特に長周期地震動に対する能力を評価するよというのをやっています。
また、大きな停電はなかったけれども、チリ中部沿岸の地震や十勝沖地震においても防災行政無線は主な情報入手手段となっており、防災行政無線の重要性が再認識されます。 ただ、東日本大震災において、避難の呼びかけを防災行政無線からはっきりと聞き取ることができたと回答されているのは約半数です。
下の二つの写真、左側の写真ですが、これは二〇〇三年の十勝沖地震のときにタンク火災が起こった。なぜタンク火災が起こったかといいますと、コップの水を想定していただきたいと思いますが、コップの水を揺すりますと、ある周期で揺れます。その直径がだんだん長くなってきますと、数秒で揺れます。この火災を起こしたタンクは、直径三十メーターから四十メーターぐらいのものですが、五、六秒の周期で揺れます。
私の方は、死者数が少なかったことについて、地元の人たちや、あとは案内していただいた青森県庁の防災課の方々にもお話をお聞きしたんですけれども、口をそろえておっしゃられるのは、青森県は、昭和三十五年のチリ地震、その後の十勝沖地震、それから日本海中部地震、こういったところで人的被害が多く出た時期があって、チリ地震はちょっと少なくて三名だったんですけれども、その後、十勝沖地震が大きかったということでございます
浜岡原発の場合は百五十年という周期的な地震に見舞われる地域にあり、三十年以内に八七%という確率が示されたわけですが、そこでお聞きしますが、一九九五年の阪神・淡路大震災以降、二〇〇三年の十勝沖地震、二〇〇五年の宮城県沖地震、二〇〇七年の能登半島沖地震と中越沖地震、二〇〇九年の駿河湾地震と続き、日本は地震の活性期に入ったという説があります。
例えば一九六八年に十勝沖地震がありましたときに、当時の電電公社の本州と北海道を結ぶ甲地無線中継所のパラボラアンテナを動かす予備電源が、ディーゼル発電機だったんですけれど、固定が不完全で四十センチずれたために東北電力のメーンの電源が切れた、その上で予備電源は大丈夫だと思っていたらそれが動かなくて、結局本州と北海道の間が二時間にわたって全く通信がなくて、北海道が大災害に見舞われているというふうなデマも流
例えば、この間、宮古の方の、宮古湾の被害の方を見させていただいたんですが、平成十五年の十勝沖地震、津波のときには、被害を受けた宮古湾内の養殖施設の打ち込みアンカーによる防災対策の強化も併せて行った、そういう復旧事業をやっておるわけであります。そしてまた、生産種苗の購入、あるいはアンカーを強化したことに対して県と市が補助を出しているわけであります。
二〇〇三年九月二十六日に発生しました十勝沖地震が、三十年以内の発生確率が六〇%で逆断層型の地震を起こしております。ですから、この東南海地震はいつ起きてもおかしくない、あるいは東南海地震が起きますと、それに連動する形で南海地震が起こるということが心配されております。 これが、東南海、南海が連動しますとどういう津波が来るかということであります。
先ほど申しましたように、私ども、平成六年、平成十一年にその耐震化の基準をつくりましたが、その後、平成十五年の十勝沖地震であのような大きな火災等も起きまして、いろいろな面で見直しが必要ということでございましたので、翌平成十六年に、耐震の改修期限を、先ほどのランクごとに若干異なりますが、二年ないし三年の繰り上げをするということで、企業の方々にも御理解いただいて繰り上げ措置を講じたところでございます。
しかしながら、その後、平成十六年に、先ほど申しましたように、十勝沖地震を契機としまして、二年ないし三年の繰り上げ措置を講じるということにした経緯がございます。 いずれにしましても、私ども、できるだけ早くこれが進みますように関係業界にも要請をしてまいりたいと考えております。
○政府参考人(荒木慶司君) 消防庁におきましては、平成十五年の十勝沖地震によります浮き屋根式タンクの全面火災を受けまして、石油コンビナート等災害防止法の一部を改正したところでございます。これによりまして、大規模な浮き屋根式タンクを所有する特定事業者は、平成二十年十一月末までに大容量放射による消火システムの配備が義務付けられたところでございます。
特に日本というのは地震が多い国ですから、私のうちも十勝沖地震のときに相当やられまして、怖くてもう車の中に親子で寝たんですよ。うちの中で寝ていられないですから、危なくて。そんな経験が多いものですから、地震に対応というものをしっかりしておかなければならない。 特に、一般的に欧米の住宅というのは寿命が長いんですね。
そこまでいかない、被害が大きくならなかったとしても、二〇〇三年九月の十勝沖地震のときのように、長周期地震動で、三大都市圏のコンビナートの石油タンクでは、浮き屋根の破損だとか、フローティングルーフと言われる、委員長もびっくりしはるかと思うんやけれども、直径七十メーターとか八十メーターの大きいタンクですよ。
それは、首都直下型地震が起きたときを想定したスペシャル番組でありまして、そのときに、これも先ほど景山委員の質問にありましたけれども、十勝沖地震のときに、少し離れた、震源地から離れた苫小牧の石油タンク、コンビナートのタンクが炎上をしたということを例に引いて、もし首都直下型が来れば東京湾沿岸の京浜、京葉工業地帯の石油タンクからまず石油が漏れるだろうと。で、それは東京湾に流れ込むと。
○政府参考人(板倉敏和君) 石油タンクにつきましては、設置する地盤、タンク本体に関して技術基準を定めておりまして、さらに十勝沖地震等の被害を踏まえ浮き屋根の技術基準を強化するなど、耐震性については万全を期しているところでございます。
基本的には、水平の揺れに対して、壁にぶつかってつっている部分が壊れてしまうというようなことがありますので、きちんとした間隔を空けてぶつかったりしないように、それで壊れたりしないようにということを技術的助言としては示していたわけでございますけれども、実は同じような事案が、若干構図は異なるんですけれども、平成十五年の九月に発生しました十勝沖地震で空港ターミナルで天井が落ちました。
○吉井委員 さらに、消防庁の方の調査では、この十勝沖地震の長周期地震動で、苫小牧の出光興産で、一つは、浮き屋根がうんと上がった、四メートルも浮き屋根が上がってしまう、そこから油が漏れるということであったということも伺っているんです。
特定事業所が自衛防災組織を持っておりますから、そこにおいて一次的な消火を行うわけでありますが、その後、消防隊が到着する、しかし、大規模な事態ですからなかなか容易ではない、こういう場合には、消防庁長官の求めによりまして、緊急消防援助隊の派遣ということもあるわけでございますが、いかんせん消火のマンパワーと機材というものには限りがあるわけでございますので、どのようにしたらいいかということで、実は、この十勝沖地震
十勝沖地震におきましては、石油タンク設置場所の地盤特性によりまして、長周期地震動の影響によって、従来の想定以上の大きないわゆるスロッシング、液面揺動が発生しまして、六基の石油タンクの浮き屋根が損傷して、その後浮き屋根が沈下してしまう事態になったわけであります。
○板倉政府参考人 全く委員御指摘のとおり私どもも考えておるわけでございますけれども、ちなみに、平成十五年に発生しました十勝沖地震、宮城県北部の地震ですとか、十六年十月に発生しました新潟県の中越地震、これらで、家具類の転倒、落下物による負傷者の数というのが負傷者全体の三〇%から四〇%であったというふうにされているところでございます。
○吉井委員 次に、政府参考人に特定建築物の耐震改修について伺いますが、問題になりましたスポパーク松森ですね、つり天井が落下するという事故について、これは耐震用の振れどめがついていなかったということがありましたけれども、不特定多数が集まる建築物の天井が地震で落下する崩落事故というのは、これまでも二〇〇一年三月の芸予地震、二〇〇三年九月の十勝沖地震などあって、そのたびに技術的助言というのを出してこられたんですね